創業60周年を迎えて

弊社の創業は1958年(昭和33年)9月16日ですから、おかげさまで今年創業60周年を迎えることができました。これもひとえに皆様の暖かいご支援のお蔭と、心より御礼申し上げます。

1958年といえば高度成長期の始まりで、1973年の第1次オイルショックまで続いた年平均10%の経済成長の波にうまく乗ることができました。中でも、1970年に開催された大阪万博は模型の世界でも一つの頂点でした。

1970開催の大阪万博の全体計画模型

建築模型を製作するのに、創業当初は石膏を固めた板を自分で作って加工し、組み立てたものです。当時は薄暗い工場に真っ白い石膏の板が印象的でした。大きな建築模型は木で作りました。そのために朴(ホウ)や桂(カツラ)の原木を買って製材し、1年間乾燥してから模型を作る薄い板に加工したものです。これらの石膏模型を作るグループ、木の模型を作るグループ、金属を加工してプラント・機械の模型を作るグループ、模型の塗装など見栄えよく仕上げる職人、模型を動かしたり制御する電機グループなど、徐々に専門化していきました。そのうちアクリル樹脂が市場に出るようになり、最初は模型に使えるかどうかと言った議論もありましたが、1960年代後半になると器用な職人たちは窓や目地を手作業で仕上げ、建築模型をアクリルで組み立てるようになりました。

弊社の創業期は皆がテレビにかじりついた時代で、テレビコマーシャルには大金が投じられたために、その撮影に使う色々な模型、特に動く模型を多く製作しました。

1969年アポロ11号人類初の月面着陸の頃からは大型アンテナの模型を数多く作りました。1984年に完成した臼田宇宙空間観測所の深宇宙探査用アンテナの動く模型は中でも最大のものでした。少し後になりますが、国立天文台ハワイ観測所のすばる望遠鏡の動く模型も作りました。

臼田の深宇宙探査用アンテナの模型(上下と回転の動き)

博物館・資料館、学童の社会科勉強のための浄水場や焼却工場の見学コース、企業の工場見学などには、昔から模型が欠かせません。展示会で見せる模型や営業が持ち歩く販促用の模型も重要です。日本が世界的に強いセンサーメーカーの営業マンが、大きくて重いデモカバンを持って世界を渡り歩いた努力を忘れられません。デモカバンにぎっしりとセンサーや検知対象となる動く模型を詰め込むために、弊社は3D-CADを他社よりも早く導入できたのです。

木で作った模型で最高レベルの作品は博物館に展示されている戦国大名朝倉氏の本拠越前一乗谷の朝倉館本館復元模型です。1967年から始まった発掘調査の結果、16棟の建物跡が分かり、1978年に復元模型を作りました。このような古建築の模型には檜(ヒノキ)を使います。

朝倉館本館復元模型

関西では2つの大きなプロジェクトが産声をあげていました。1つは泉州沖に決まった関西空港、もう1つは後に「彩都」と呼ばれるようになった国際文化公園都市の構想です。関西空港は1987年に第1期工事着工、彩都は1995年造成工事着手ですが、計画を推進するために関空へのアクセスを示すパノラマ模型や国際文化公園都市全体の大きなジオラマを作りました。後者は彩都の建設が進むのに合わせて何回も修正して、今も元気に色々な催しがあるたびに展示されています。計画推進に模型が果たす役目を見事に示してくれました。

国際文化公園都市(その後「彩都」と呼ばれる)の計画ジオラマ模型(3m✕3m)

建築設計のコンペで、模型や模型を撮影した写真で審査をすることは今も続いていますが、関西で最大規模といえるコンペは1991年に平安建都1200年に合せて行われた「JR京都駅改築設計競技」だったと思います。国の内外の著名な建築家を指名し、審査員にも海外の建築家を加えた国際的なコンペに7案の応募があり、7つの模型(弊社で製作したものも含めて)が持ち込まれ、それを弊社で製作した周辺模型に据え付けて審査が行われました。原廣司先生の設計が最優秀作品に選ばれて、永遠の都・京都にふさわしい駅舎ができました。

1987年には長崎市近郊の時津町に長崎工場を新設し、水槽実験用の大型船舶模型や海底地形模型、風洞試験用模型などを製作しました。その他、各種の展示模型も九州地方で手掛けましたが、1996年に長崎工場は分離独立しました。しかし、これらの経験と技術を生かして、弊社では風洞試験用模型をはじめ色々な研究開発用模型の設計・製作を今日も続けております。

1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生して神戸市とその周辺は大きな被害を受けました。その2週間後天皇皇后両陛下は被災地をご訪問になり、被災者を慰問されましたが、その6年後の2001年4月に神戸の復興状態をご覧になり、激励しに来られました。その時、当時の貝原兵庫県知事の案内で弊社が作った「神戸東部新都心」の模型をご覧になりました。写真が応接室に飾ってあります。

1997年に完成した大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)は、計画当初から色々な提案型模型を作りましたが、最終的には候補に残った2案を合体した現在の形に決まりました。大阪ドームには、天井のスーパーリングの開閉、観客席の移動、人工芝の巻き取りがありますが、弊社で作った最終案の模型でも、ボタンスイッチを押せばこれらの動きが再現できるようになっています。

大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)の模型でのスーパーリングの開閉(電動)
イベントによって天井高さを調節できる

アクリルを使った建築模型は完全な手作りからマシニングセンターで加工するようになりましたが、1990年代の後半になると、小型のレーザー加工機の性能の良いものが世に出て、アクリルを中心とする模型製作に使うようになり、PCのCADの普及とあいまって模型製作の省力化が進み、それまでの手作りからIT化による生産性向上の時代に突入しました。

その頃インターネットが普及し始め、ドメインを取得して社員全員がメールを使い出すようになり、顧客とのコミュニケーション、社内の情報共有にすばらしい効果をあげることができました。

模型製作の目的も時代と共に大きく変ってきました。昔は建築の完成模型を作ることが多く、それを見ながら設計変更を進めることもあり、竣工後はビルの中に飾ったものです。今は建築の意匠やレイアウトを決めるためのスタディ模型が多くなっています。これはグラフィックや3D-CAD図よりも正確に判断できる模型によってリードタイムを短縮する効果があります。

あべのハルカスについては、7年間にわたり模型を何回か作り、設計変更の都度模型を手直ししました。
長期にわたる設計・建設を通じて模型は大勢の関係者の意思疎通をはかるのに役立ったと思います。最後のご奉公は各地を展示して回ったことです。今はあべのハルカスの17階に飾ってあります。

あべのハルカス17階に展示されている1/200模型

お客様が真剣にご覧になるのはマンションギャラリーの模型です。高額な買い物を決めるときに正確な模型で確かめたいのです。模型も大型化の傾向にあり、最近のタワーマンション模型は高さ4mのものがあります。

その他、道路・橋梁・宅地造成をはじめとする土木関係の模型、各種の研究開発用の模型、プラント・機械の販促用模型、鉄道車両模型、ジオラマ、各種の展示用模型、テレビドラマに使う模型など、弊社ではあらゆる模型を作っています。

2016年10月には雑誌「プレイボーイ」の創刊50周年記念号と翌週の号に「大人の社会科見学ルポマンガ!! 技術見聞で男泣き! 秘密組織プレイメーソン 業務用模型のプロ集団 株式会社西日本模型」という題名で、前編と後編に分けて弊社の長編マンガを掲載してくださいました。内容も面白くて好評でした。

2017年1月から半年間、eo光チャンネル「技術立国日本」で「西日本模型」が放映されました。30分の番組で、お客様や弊社の社員が模型のことや模型製作の苦労話を、実に明快に話してくださいました。

視聴していただいた方々は、社員がどれほどの情熱をもって模型製作をしているかをご理解いただけたと思います。

第4次産業革命の足音は模型の世界にもやってきます。弊社は2011年から3Dプリンターを導入してフルに活用してます。建築・土木が設計からメンテまで3Dで行うようになり、弊社も模型設計・製作にBIM・CIMを使える体制をとっています。また3D-CADを社員のほぼ全員が使えるようになり、3D時代を見据えた準備は万全です。これからは画像解析、IoT、ドローン、ロボットなどを使うことも考えて行きます。SFAの導入もすませました。将来はAIも利用できるようになるでしょう。

大阪大国技館の模型

大阪市城東区にあった「大阪大国技館」の模型。少ない資料から3Dデータを作成し、全て3Dプリンターで製作しました。収容人数は2万5千人。両国国技館の1万1千人と比べるとその大きさが分かります。

とはいえ、創業60周年を迎えることは、経営者にとっても、社員にとってもとてもうれしいことです。ちなみに、日本において企業の生存率についてあまり信頼できる数値はありません。帝国データバンクのデータで「創設後経過年数」VS.「企業の生存率」のグラフは30年までしかありませんが、これを外挿して60年の企業生存率を求めると約20%になります。

模型製作会社も時代と共に生き物のように変貌して行きます。 国の経済が回っている限り、無くなる模型もあれば、新たに必要となる模型もあります。弊社も80周年、100周年を迎えるとき、どのようになっているか楽しみです。

(2018年1月1日 田村寛人)

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