石川賞受賞とイノベーション

私は昭和電工株式会社に勤務していたとき、大分石油化学コンビナートの土地を買うことから、全体のレイアウトや基本計画の立案、技術導入、エチレンプラントの建設・試運転、コンビナートの管理まで一員として担当させていただきました。

1969年に稼働した年産22万トンのエチレンプラントには、当時最高水準のプロセス制御用コンピューターIBM1800がプラント制御用にオンラインで使われてました。IBM1800はオンラインで集めたデータをオフラインの計算に活用することもできました。

大分コンビナートは立地や誘導品に優れてましたが、最後発であったため、当初は大きな赤字をかかえました。それを脱却すべく、若手の知恵を結集し、コンビナートを常に最適な条件で操業する計算をIBM1800でやることを考えました。

最適化のシミュレーションにはフォーミュラ(数式)が必要です。運転中の巨大なナフサ分解炉で大きく条件を変えて多くのデータを取ることはできません。株式会社島津製作所にお願いして「マイクロパイロライザー」と私が名づけた小さな分解炉を開発し、ガスクロに直結して分析の若い人達が一所懸命データを取りました。スケールで言えば実炉の約1万分の1でしょうか。

実炉のデータと照合して、シミュレーション用の数式ができました。オンラインで収集するコンビナートの各種生産量や操業条件をもとに、コンビナートのその時々の最適操業条件を見付け出すことができました。エチレンを生産する中核会社にたまった赤字は2年位で消えたと記憶しています。

このことをIBMシンポジウムで発表したのがきっかけで、1973年、第四回石川賞受賞となりました。

企業としての経済的な必要性、コンビナート集団の最適化、技術解析の必然性、IBMの優れた製品、島津製作所のガスクロ関連技術、昭和電工の優秀な技術陣と先見性、などを幅広く結合して生まれた、実証を伴ったイノベーションの典型と思っています。

西日本模型のような小さな会社でも、広く知識・技術・必要性・必然性・考え方を組み立て、外部の適切な協力を得られればイノベーションは起こせるのです。社員の奮起を期待します。
当時の昭和電工の岸本社長、村上常務、北洞工場長、木村さん、村主さん、小嶋さん、藤野さん、朝倉さん、清さん、佐藤さん、徳永さん、高橋さん、幸重さん初め協力してくださった皆々様に厚く御礼申し上げます。

(2013年11月28日 田村寛人)

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